踊りのメンバーが結婚式を挙げる。その二次会に招かれた。
まずはおめでとう。
そして、おれごときとの付き合い程度でも呼ばれるんだなあ、というのが正直な感想。
おれの中で結婚式やその二次会に呼ばれる人のイメージというのは、何度もいっしょに遊びに行っているとか、メールのやりとりなんかも頻繁だとか、とにかく深い付き合いの人が呼ばれるというものなので、おれなんかが行っていいのだろうかという思いは禁じ得ない。
もしおれが結婚式を挙げると仮定した場合、親類縁者以外の友人枠として呼ぶべき人を数えてみたら、知り合いの中の誰もあてはまらないのだが、おれの「友人」の考え方がおかしいのだろうか?
まあ、天地がひっくりかえっても起こり得ない仮定なので、考えるだけ無駄なことだ。
呼ばれたからには、二次会とはいえそれなりの格好をしていかなければならない。
いままで親類縁者の結婚式には、葬式のときの格好からネクタイだけを変えたもので出席してきたが、それもどうかとおもっていたので、思いきって新調することにした。
来月の末には会社の後輩の結婚式にも出ることになっているので、タイミングもいい。
今日は髪を切りに行くことになっていたので、ついでに某店に寄って某テナントで店員に相談したところ、どんどん話が進んで試着まですることになった。
そこまで行って気付いたんだが、金額のことをなにも考えていなかった。
青い山だとか小さい中だとか青い木だとかなら、それほど高くはならないのだろうが、この店はそういう店ではないのだ。
しかしもういまさら高いからと断るのも面倒な話で、そもそもそういったことを考えもしないでこの店に入ってしまったおれにも問題があったわけで、もう買ってしまうことにした。
青い山や小さい中を想定した金額より少し多めに用意しておいた所持金は、すべてなくなったどころか福沢が2枚ほど足りないという事態だった。
裾直しで翌日取りにいくときに支払うことにしたが、おそるべき出費となってしまった。
こういった買い物で出費に見合った使用回数というものがあるのだとしたら、何度結婚式に出れば元をとったような気持ちになれるのだろうか?
少なくともあと1回くらいしか、おれには使う機会がなさそうなんだが。
髪を切りに行ったら、以前いた女の子が結婚したという話を聞いた。
これもめでたい話。
おれが歳をとっているのだから、まわりの知り合いも歳をとる。
必然的にそういう話も出てくるようになってくるのだ。
で、おれにもそういう相手がいないのか?と訊かれた。
おれが結婚してはいけないのは運命で決まっていることなのだから、相手がいるいないの問題ではない。
間違ってヒトとしてうまれてきてしまった間違った「人生」に、ほかの人を巻き込むわけにはいかないのだ。
……ということを話しても、一般的には理解されないのはわかっているので話さなかった。
この手の話でいちばんつらいのは、いまだに「希望」をもっているらしい両親の気持ちを考えたときだ。
人は必ず結婚するものだという考えに囚われているので、余計に厄介でもある。
おれは人間ではなくヒトなのだからといっても理解はされないだろうし。
難しい。
まずはおめでとう。
そして、おれごときとの付き合い程度でも呼ばれるんだなあ、というのが正直な感想。
おれの中で結婚式やその二次会に呼ばれる人のイメージというのは、何度もいっしょに遊びに行っているとか、メールのやりとりなんかも頻繁だとか、とにかく深い付き合いの人が呼ばれるというものなので、おれなんかが行っていいのだろうかという思いは禁じ得ない。
もしおれが結婚式を挙げると仮定した場合、親類縁者以外の友人枠として呼ぶべき人を数えてみたら、知り合いの中の誰もあてはまらないのだが、おれの「友人」の考え方がおかしいのだろうか?
まあ、天地がひっくりかえっても起こり得ない仮定なので、考えるだけ無駄なことだ。
呼ばれたからには、二次会とはいえそれなりの格好をしていかなければならない。
いままで親類縁者の結婚式には、葬式のときの格好からネクタイだけを変えたもので出席してきたが、それもどうかとおもっていたので、思いきって新調することにした。
来月の末には会社の後輩の結婚式にも出ることになっているので、タイミングもいい。
今日は髪を切りに行くことになっていたので、ついでに某店に寄って某テナントで店員に相談したところ、どんどん話が進んで試着まですることになった。
そこまで行って気付いたんだが、金額のことをなにも考えていなかった。
青い山だとか小さい中だとか青い木だとかなら、それほど高くはならないのだろうが、この店はそういう店ではないのだ。
しかしもういまさら高いからと断るのも面倒な話で、そもそもそういったことを考えもしないでこの店に入ってしまったおれにも問題があったわけで、もう買ってしまうことにした。
青い山や小さい中を想定した金額より少し多めに用意しておいた所持金は、すべてなくなったどころか福沢が2枚ほど足りないという事態だった。
裾直しで翌日取りにいくときに支払うことにしたが、おそるべき出費となってしまった。
こういった買い物で出費に見合った使用回数というものがあるのだとしたら、何度結婚式に出れば元をとったような気持ちになれるのだろうか?
少なくともあと1回くらいしか、おれには使う機会がなさそうなんだが。
髪を切りに行ったら、以前いた女の子が結婚したという話を聞いた。
これもめでたい話。
おれが歳をとっているのだから、まわりの知り合いも歳をとる。
必然的にそういう話も出てくるようになってくるのだ。
で、おれにもそういう相手がいないのか?と訊かれた。
おれが結婚してはいけないのは運命で決まっていることなのだから、相手がいるいないの問題ではない。
間違ってヒトとしてうまれてきてしまった間違った「人生」に、ほかの人を巻き込むわけにはいかないのだ。
……ということを話しても、一般的には理解されないのはわかっているので話さなかった。
この手の話でいちばんつらいのは、いまだに「希望」をもっているらしい両親の気持ちを考えたときだ。
人は必ず結婚するものだという考えに囚われているので、余計に厄介でもある。
おれは人間ではなくヒトなのだからといっても理解はされないだろうし。
難しい。
.
#
by slownote
| 2014-10-26 08:40