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うつせみ

slownote.exblog.jp

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 踊りのメンバーが結婚式を挙げる。その二次会に招かれた。
 まずはおめでとう。
 そして、おれごときとの付き合い程度でも呼ばれるんだなあ、というのが正直な感想。
 おれの中で結婚式やその二次会に呼ばれる人のイメージというのは、何度もいっしょに遊びに行っているとか、メールのやりとりなんかも頻繁だとか、とにかく深い付き合いの人が呼ばれるというものなので、おれなんかが行っていいのだろうかという思いは禁じ得ない。
 もしおれが結婚式を挙げると仮定した場合、親類縁者以外の友人枠として呼ぶべき人を数えてみたら、知り合いの中の誰もあてはまらないのだが、おれの「友人」の考え方がおかしいのだろうか?
 まあ、天地がひっくりかえっても起こり得ない仮定なので、考えるだけ無駄なことだ。

 呼ばれたからには、二次会とはいえそれなりの格好をしていかなければならない。
 いままで親類縁者の結婚式には、葬式のときの格好からネクタイだけを変えたもので出席してきたが、それもどうかとおもっていたので、思いきって新調することにした。
 来月の末には会社の後輩の結婚式にも出ることになっているので、タイミングもいい。

 今日は髪を切りに行くことになっていたので、ついでに某店に寄って某テナントで店員に相談したところ、どんどん話が進んで試着まですることになった。
 そこまで行って気付いたんだが、金額のことをなにも考えていなかった。
 青い山だとか小さい中だとか青い木だとかなら、それほど高くはならないのだろうが、この店はそういう店ではないのだ。
 しかしもういまさら高いからと断るのも面倒な話で、そもそもそういったことを考えもしないでこの店に入ってしまったおれにも問題があったわけで、もう買ってしまうことにした。
 青い山や小さい中を想定した金額より少し多めに用意しておいた所持金は、すべてなくなったどころか福沢が2枚ほど足りないという事態だった。
 裾直しで翌日取りにいくときに支払うことにしたが、おそるべき出費となってしまった。
 こういった買い物で出費に見合った使用回数というものがあるのだとしたら、何度結婚式に出れば元をとったような気持ちになれるのだろうか?
 少なくともあと1回くらいしか、おれには使う機会がなさそうなんだが。

 髪を切りに行ったら、以前いた女の子が結婚したという話を聞いた。
 これもめでたい話。
 おれが歳をとっているのだから、まわりの知り合いも歳をとる。
 必然的にそういう話も出てくるようになってくるのだ。
 で、おれにもそういう相手がいないのか?と訊かれた。
 おれが結婚してはいけないのは運命で決まっていることなのだから、相手がいるいないの問題ではない。
 間違ってヒトとしてうまれてきてしまった間違った「人生」に、ほかの人を巻き込むわけにはいかないのだ。
 ……ということを話しても、一般的には理解されないのはわかっているので話さなかった。
 この手の話でいちばんつらいのは、いまだに「希望」をもっているらしい両親の気持ちを考えたときだ。
 人は必ず結婚するものだという考えに囚われているので、余計に厄介でもある。
 おれは人間ではなくヒトなのだからといっても理解はされないだろうし。
 難しい。




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# by slownote | 2014-10-26 08:40
 踊りのメンバーが結婚するので、メッセージビデオを撮ることになった。
 そういうわけでお呼びがかかって、居酒屋に向かった。
 しかし、かれこれ1ヶ月ほど体調が悪く、酒は飲みたくない。
 飲んだらおそらく翌日の具合が最悪になる。
 そのうえ、集合場所の居酒屋は隣町にある。
 家から十数キロ。
 どうせ酒を飲まないならと、車で出かけることにした。

 結論からいうと、結局まともなメッセージビデオの撮影はできず、単なる飲み会になってしまった。
 みんな酒が好きなんだなー、と感心すると同時に、自身の酒をはじめとした享楽への執着心のなさを、改めて認識させられる。
 みんなが楽しそうに酒を飲んでいても、おれも飲みたいとはまったく思わないのだ。

 それはそれとして、だ。
 酒も飲まず、体調不良の影響で口内炎だらけなので食べ物もほとんど食べられず、ひたすら烏龍茶ばかり飲んでいるおれは、ビデオ撮影をしないのであれば、ここにいてはいけない存在なのでは?ともおもえるのだが。
 そもそもおれは、どんなに酒を飲んでも眠たくなる以外はほとんど普段と変わることはないので、今回のように酒を飲めない状況であっても、いつもと同じと考えることができる。
 おれはいつも、あまり誰かと話したりすることもなく、ただまわりが楽しそうにしているのを眺めていられればそれでよくて、そういう光景を「おだやかで平和でいいなあ」とおもっているわけだが、そんなおれは、まわりからはどんな風におもわれているだろうか?
 もし空気を読めない暗いやつとおもわれているのなら、もう邪魔になるだけだから、呼ばれても行かないようにした方がいいのだろう。

 こういうことがあると再認識させられるのだが、やはりおれは世の中の普通の人たちとは、いろいろと違うというか、欠落している部分が多すぎるようだ。
 「人間」ではなく「ヒト」なんだろう。
 みんなには「場違いなヒトが知り合いになってしまってごめんな」と申し訳なくて、謝りたいくらいだ。




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# by slownote | 2014-10-05 10:03
 以前と比べて、いろんなことを「許す」ようになった。
 「許す」というと、なにやら偉そうな上から目線なので、どちらかというと「許容する」とか「いちいちつっかからない」というべきか。

 たとえば、テレビでの有名人の「問題発言」など。
 不遜な態度をとった芸能人がバッシングを受けることが最近は多くて、10年くらい前までは、おれもいちいち腹を立てたりしていたものだ。
 ところが、最近はまったく気にしなくなった。
 結局のところ、おれにまったく関係のない赤の他人である芸能人がどんな言動をしたところで、おれにはまったく影響などないという当たり前のことに気付いたのだった。

 そんなどうでもいいことには腹は立たないけれど、人間関係の重大なことに関して最低限のこともできない人には、やはり怒るときには怒らなくてはとおもう。
 具体的には、約束をだまってすっぽかされるとか、返答を求めているのに無視されるとか、そういったことだ。
 まあ、これに関しては、おれはいつも相手の非をまともに指摘したばかりに逆ギレされて精神的に損してばかりいるんだが、最低限のこともしなかったのに逆ギレするような人とは、末永く付き合ったところでいいこともないだろうから、縁が切れたとしてもまあ別にいいかなとおもう。
# by slownote | 2014-09-21 22:07
東京電力福島第1原発事故による健康への影響を調べている福島県は24日、震災当時18歳以下の子ども約37万人を対象に実施している甲状腺検査で、甲状腺がんと診断が確定した子どもは5月公表時の50人か...


 「福島の甲状腺がん57人に 県内の全子ども対象調査」

 東京電力福島第1原発事故による健康への影響を調べている福島県は24日、震災当時18歳以下の子ども約37万人を対象に実施している甲状腺検査で、甲状腺がんと診断が確定した子どもは5月公表時の50人から7人増え57人に、「がんの疑い」は46人(5月時点で39人)になったと発表した。

 福島市内で開かれた県民健康調査の検討委員会で報告した。地域による発症率に差がないことも報告され、委員会の星北斗座長は、現時点で放射線の影響がみられないことが裏付けられたとした上で、「今後、詳細な分析が必要だ」と述べた。


 このような記事にタイトルをつける場合、ふさわしいのは“福島の小児甲状腺がん発症率、他地域と変わらず”であるはずなのだが。
 これを書いた記者は、なにか福島という場所に、あらぬ疑念を抱かせ、風評被害を増大させたいという意図でもあるのだろうか?
 それとも放射線の危険性を、事実を超えてことさらに強調することが目的なのだろうか?
 そのためであれば、いまだ風評被害に苦しめられている「福島」をダシに使うことも厭わないと?

 甲状腺がんというものは、誰もが気付かないうちに発症していて、いつのまにか消えているということがよくある性質のものだという。
 重症化するのは、そのうちのごく少数だ。
 つまり、調べようと思って調べれば調べるほど、その発見数は多くなるのが当然で、そのうちの大多数(ほとんど)は重症化せずに自然治癒することになる。
 こういうことも併記しなければ、記事としてはまったく不完全だろう。

 この記事を書いたのは共同通信の記者であり、特定の新聞社の人というわけではないのだが、どうやら世間の風潮に迎合して、放射線の危険性を誇大に流布する傾向にあるようだ。
 いいかげん、こういう姿勢を改めないことには、まともな反原発の人々の主張すらまともにとりあってもらえなくなるのだということに気付いた方がいい。




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# by slownote | 2014-08-25 06:20
 敗戦記念日だ。
 おれはあの戦争に負けたことは本当によかったとおもっている。
 もしまかりまちがってあの戦争に勝ってしまっていたら、今も日本は「大日本帝國」であり続け、現在の北朝鮮のような体制のまま続いていたのかもしれない。
 「お国のため」になると思い込まされて犬死にさせられていった招集兵たちも、日本が北朝鮮よりはマシな国に生まれ変わって、すこしは安心しているのではないだろうか。

 もちろん、負けてよかったとおもうにしても前提がある。
 多くの一般国民や侵略された国の国民、戦争相手国民の犠牲を別にすれば、という前提。
 さらにいえば、そもそも戦争など起こさなければよかったのだが(戦争は仕方なかった・避けられなかったなどという与太は無視)、それは抜きにしてという大前提。


 「Yahoo!知恵袋」に次のような質問が投稿されていた。

 「日本が他の国に侵略されたら、徴兵しても日本を守りますか?」

 これに対する回答の中には、

 徴兵されなくても志願して日本を守ります。

 イヤでもそうせざるを得ないでしょう。
 自分の国がなくなってしまうのに立ち上がらない人はいませんよ。


 なんてものがあった。
 まあ勇ましいこと。
 立ち上がらない人はいませんよ、って(笑)
 ここにいるんですけどね。

 さらに、徴兵は無理だという人の中にはこんな人も。

 無理ですね。

 理由は、もちろんネットや感情論では「守る!」と言えますが、

 実際、徴兵制なんていうのは、そんな一朝一夕に目先の感情論で成立するものではなく、それこそ長い時間かけて、独立主権国家として、必要な愛国心教育からはじまって、心身ともに国防意識を国民一人一人が積み上げてまとまって達成するものですよね。

 そのことは本来、厳しい愛国心教育があったからこそ、特攻隊などという、若くて大切な命を、捨て身で死をものもともせず敵艦に突っ込ませてきた大日本帝国人が一番よくしっていることだと思います。

 日本は戦後、約70年間、その愛国心教育や国防意識の教育による国民意識の統一や継続や積み上げをやってきませんでした・・・いや、アメリカと左翼にやらせてもらえなかった。

 そんな現代の日本人は、精神論でも感情論でもなければ、徴兵してでも日本を守る・・という行動をとるのは絶対に不可能です。


 ……いやはや。
 この人、北朝鮮で指導者になれるとおもうんですが……
 とりあえず早急に精神科を受診することを勧めておきたい。

 こんなトンチキな回答もあるなか、ベストアンサーに選ばれたのは次の回答。

 まず、インターネットが普及している今の世界情勢では、一方的な侵略戦争はありえませんが、仮にあるとして。私が守るのは家族です、国ではありません!だから、国のために死なずに、平和な暮らし環境を求めて家族と他の国に移ります。
 逆に、国のために戦い戦死したとして、国は残された私の家族になにをしてくれますか?太平洋戦争の前例を見れば、答えは明白です。


 まさに我が意を得たり。
 「国」を構成しているのは国民であり、国民を構成しているのは個々の人々であり、それは家族などの単位でもある。
 それを「守る」ために何をするか?ということが「国を守る」ことの第一歩なのであって、まずは危険な場所から退避するのが常道だとおもうのだが、「日本を守る!」なんて言っている人たちにとってはちがうのだろうか?
 そもそも「国土」と「国家」は別物で、戦争をするのは国家の方である。
 おれは日本の国土は好きだが、国家としての現在の日本は大嫌いなので、もし戦争になっても力を貸すつもりは毛頭ない。そもそも力を貸す義理もない。
 というより、好き嫌い以前の問題で、戦争は絶対悪なので、自分がどの国の国民であったとしても、戦争に協力する気は一切ない。

 それにしても、上記ベストアンサーが知恵袋ユーザーの投票によって選ばれたという事実に、ちょっと安心した。
 洗脳が進んで右傾化が明白な昨今の日本であっても、まともにものごとを判断できる人もまだまだいるという証しなのだとおもいたい。




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# by slownote | 2014-08-15 07:54

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